表題は時事川柳のひとつで,石油危機の際のトイレットペーパー買い占め騒ぎを風刺したものである。
実のところ原油価格の高騰がトイレットペーパーの欠乏だけに結びつく根拠はなかったわけだが(まだカロリーベースが重要な政策課題とされていた当時にあっても,トイレットペーパーよりもまずは飼料,肥料,輸入食品等のコスト増大・品不足を心配すべきであったろう),とにかく人々は流言飛語を背景にトイレットペーパーを奪い合い,時代の象徴として記憶されることとなった。
さて,2020年。残念ながら技術は進歩しても人は変わらないようであり,COVID-19 の流行にともないトイレットペーパー欠乏とのデマが拡散し,トイレットペーパーの買い占め騒ぎが起こっている。それで表題の川柳を思い出した。
たしか,見たのは小学校だか中学校だかの社会の教科書だったか資料集だったか,とにかくそういったものだろう。つまり,少なくとも同世代の人の多くはこれを目にしたはずであるし,おそらくより上の世代の人もそうである。
ところが,検索してみてもほとんど引っかからないのだ。
変換を変えて何度も試してみたが,やはり引っかからない。
ようやく見かけたのが以下のページである。
2012年5月29日よりも少し前の話として,読売新聞の「川柳で見る50年史」と題した記事が紹介されている(なおこの読売記事についても,ウェブ検索しても出てこない)。
これによると,表題の時事川柳は,1973年(昭和48年)に第一次石油危機をうけて作られたものらしい。
このように,比較的広く知られているはずであるのにウェブにはない情報というのは多くある。考えてみればごく当たり前の話ではあるし,誰でも専門分野では常識以前の前提となっているはずのことであるが,久々に意識することとなったので,ここにメモしておきたい。
Google が検索結果をひどく操作していることからもわかるように,情報全てを記録して参照可能にするというコンセプト自体が古い幻想であり,またヒトというハードウェアの限界を超えたものであるのかもしれない。なにしろヒトというのは騒ぎがあるたびにトイレットペーパーを買い占めるような生き物だ。脳にケーブルをつないで電子演算の夢を見ながら培養液にぷかぷかと浮かんでいるのがヒトの享有しうる最高の幸せではないか?
ところで,トイレットペーパー品不足デマに対する反駁として「トイレットペーパーのほとんど(98%)は国産である」と言われることがある。
しかし実際には,原料となるパルプ用材の実に7割は輸入材であり,「国産なので影響はない」というのは実のところ誤りである。なおパルプ用材輸入元については,中国ではないもののアジア・オセアニアへの依存が大きく,COVID-19 によるサプライチェーン混乱の影響を受けるリスクは低くないと言える。むしろ,パルプの消費総量に占めるトイレットペーパーの割合を指摘したほうが適切だろう。
デマをただしく否定することはかくも難しいし,ウェブ検索は抜けだらけだし,ヒトは愚かであるし,今日は寒い。